41. 一.帰幽後の一仏教者 (その1)

 ある日、新樹をよんでよもやま話をしたついでに、近頃そちらの世界で誰か珍しい人物に会ったことはないか、と訊ねました。新樹はしばらく考えて答えました。――

 「格別珍しい人にも会わないですが、この間一人の熱心な日蓮信者に会って、死後の感想を聞きました。それなどは幾分か変わったほうです。」
 「日蓮信者は面白いな……。どういうことでその人に会ったのか。」
 「なに、僕が指導役のお爺さんにお願いして、わざわざ連れてきて戴いたのです。僕は生前仏教の事も、キリスト教の事も、少しも知らなかったので、それら、既成宗教の信者が、こちらの世界へ来て、どんな具合に生活しているか、またどんな考えを抱いているか、一つ実地に調べてみたいと思ったのです。そうするとお爺さんは、見本として菊地という一人の老人……なんでも15年ばかり以前に、62歳で帰幽した人で、専門は蚕糸家だとか言っていましたが、その人を連れて来てくれたのです。生国は寒い方の国らしいですね。若い時には東京の学校で勉強したと言っていました。いかにも物腰のやわらかな、人品の賎しからぬ人物でした……。」
 「面会した場所は、やはり例の洋風の応接間かい?」
 「そうです。初対面の珍客ですから、僕の方でも大分念入りに準備をしました。應接間の中央には一脚のテーブルに然るべく椅子をあしらって置きました。それから壁には掛け軸もかけました。僕は神さんの方ですから、皇孫命様のお掛け軸を戴いてあります。それは神武天皇時代のような御服装で、威風堂々四海を呑むといった、素晴らしい名画です。洋館ですから、別に八足台などは置きません。ただ普通の台の上に、榊と御神酒を供えただけです。」
 「お前の服装は?」
 「僕は和服にしました。鼠色の無地の衣服に、共の袴、白足袋・・・・・ごくじみなものです。」
 「お客さんはどんな服装だったかな?」
 「最初は墨染の法衣を着ていました。菊地という人は、現在ではもうすっかり仏教的臭みから脱却してしまっているのですが、元仏教信者であったことを表現するために、わざわざ法衣を着てきたのだそうです。ですから一応挨拶を済ましてからは、いつの間にか、普通の和服姿に変わっていました。そのへんがどうも現世らしくない点です。」
 「まるで芝居の早変わり式だね・・・・・。かなり勝手が違っている……。」
 「勝手が違っているのは、そればかりではありませんよ。その時、僕がふと人間心を出して、現世ならこんな場合に、茶菓でも出すところだが、と思ったか思わぬ間に、早くもお茶とお菓子とが、スーッとテーブルの上に現われました。まるで手品です。もちろんそれは一向に風味も何もありません。単に形式だけで、つまらないことおびただしいです・・・・・。」

 雑談は良い加減にしておいて、私はそろそろ話題を問題の中心に向けていきました。

 「菊地さんは、よほど堅い法華の信者だったのかしらん!」
 「そうらしかったのです。平生から血圧が高く、医者から注意されていたので、かたがた仏の御力に縋ったらしいです。が、それがために、格別病気がよくもならず、そしてとうとう脳溢血で倒れたというのです。」
 「脳溢血で急死したのでは、相当長く自覚できなかっただろうね。」
 「ええ、何年無自覚でいたか、自分にもさっぱり見当がつかないと言っていました。ところが、或る日遠くの方で、菊地、菊地と名前を呼ばれるような気がして、ふと眼を覚ますと、枕元に一人の白衣の神さんが立っていたそうで、その時は随分びっくりしたといいます。ともかくもお辞儀をすると、お前は仏教信者として死んだが、仏教の教えには、大分方便が混っているから、その通りにはいかない。こちらの世界には、こちらの世界の不動の厳しい決まりがあるから、素直に神の言うことを聞いて、一歩一歩着実に向上の道を辿らねばならない。お前のように、一途に日蓮に導かれて、何の苦労もなく、すぐ極楽浄土へ行って、ぼんやり暮そうなどと考えても駄目である……。ざっと、そんなことを言いきかされたといいます。」

  浅野和三郎『新樹の通信』=第三編=〔本文復刻版〕
     潮文社、2010年、pp. 1-4 (現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 和三郎先生は、時おり新樹氏を呼び出して、「よもやま話」をすることもあるようですが、まるで、この世とあの世の次元の違いなどは超越しているような感じです。ここでは、そのようにして新樹氏から聞き出したかつての熱心な日蓮宗信者の話が紹介されています。新樹氏の家の応接間に連れてこられた菊地さんは、元仏教信者であることをあらわすためにわざわざ法衣を着ていましたが、挨拶がすむと、いつのまにか普通の和服姿に変わっていた、などというのは、やはり私たちには、ちょっと想像することもできません。

 私たちは、一般的には、熱心に仏教を信仰していたのであれば、霊界へ還っても安らかな生活が待っているはずだと考えがちですが、菊地さんの話では、必ずしもそうではなかったようです。「仏教の教えには、大分方便が混っているから、その通りにはいかない」とか、「一途に日蓮に導かれて、何の苦労もなく、すぐ極楽浄土へ行って、ぼんやり暮そうなどと考えても駄目である」などと聞かされた、という話には、私たちも他人事ではないような気がしないでもありません。
(2014.03.28)



 42. 一.帰幽後の一仏教者 (その2)


 「菊地さんは大分あてが外れたわけだな……。」
 「大いにあてが外れて憤慨したらしいです。なにしろ相当我の強い人ですから、さんざん神さんに喰ってかかりました。――信仰は各人の自由である。自分はかねて日蓮様を信仰したものであるから、どこまでもそれで行きたい。そのお導きで、自分はきっと極楽浄土へ行ってみせる……。」
 「法華信者はなかなか堅いからな・・・・・。先入主というものは容易に取れるものでない……。」
 「なかなか取れないものらしいです。とにかく何と言われても、菊地さんが頑張って聞かないものですから、神さんの方でも、とうとう本人の希望通りで、仏教式の修行をさせたそうです。そこが有り難いところだと思いますね。神さまは、決してその人の信仰に逆らわないで、導いてくださるのですね。僕なんか気が短くて、下らないことを信じている人を見つけると、すぐ訂正してやりたくなりますが。結局それでは駄目らしいです。間違った人には、そのまま間違わしておいて、いよいよ鼻を打った時に、初めて本当のことを説明してやる――どうもこれでなければ、人を導くことはできないようですね。菊地という人なんかも、やはりその手で薫陶されたらしく、やがて一人の坊さんの姿をした者が指導者となり、一生懸命にお題目を唱えながら、日蓮聖人を目標として、精神の統一を図るように仕向けられたといいます。そしてその間には、日頃お説教で聞かされたような、随分恐ろしい目にも逢わされ、亡者のうようよしている、暗い所を引張りまわされたり、生ぬるい風の吹く、無気味な沙漠を通らせられたり、とても歩けない、険阻な山道を登らせられたり、世にも獰猛な天狗に攫われ損ねたり、また、めらめら燃える火炎の中をくぐらせられたり、その時の話は、とても口では述べられるものではないと言っていました。とにかくこれには、さすがの菊地老人も往生し、はてなと、少し考えたそうです。――自分は決してそれほどの悪人ではない筈だが、どういう訳で、こんな恐ろしい目にばかり逢わされるのかしら……。ことによると、これは心の迷いから、自分自身で造り上げた幻覚に苦しめられているのではあるまいか。なんぼなんでもあんまり変だ……。」
 「なかなかうまい所に気がついたものだ。近頃マイヤースの通信を見ると、帰幽直後の人達は、大てい夢幻界に住んでいるというのだ。つまりそれらの人達は、生前頭にしみ込んでいる先入的観念に捕えられ、その結果、自分の幻想で築き上げた一つ夢幻境、仏教信者ならば、うつらうつらとして、蓮の台などに乗っかっているというのだ。そんなのは、一種の自己陶酔で、まだ始末の良い方だが、困ったことに、どの既成宗教にも、地獄式の悪い暗示がある。菊地さんなども、つまりそれで苦しめられた訳だろう……。」
 「そうらしいですね。とにかく菊地さんが、変だと気がつくと、その瞬間に、これまでの恐ろしい光景は拭われたように消え、そして法衣を着た坊さんの姿が、がらりと白装束の神さんの姿に急変したといいます。菊地さんは、つくづくこう述懐していました。――先入主というものは、実に恐ろしいものだ。娑婆にいる間はそれほどでもないが、こちらの世界は、すべて観念の世界であるから、間違った考えを懐いておれば、全部がその通り間違ってきてしまう。今から考えると、仏教というものは、いわば一種の五色眼鏡で、全部うそというわけでもないが、しかしそれを通して見る時に、すべてのものは、悉く一種の歪みを帯びていて、赤裸々の現実とは大分の相違がある。人間が無智蒙昧である時代には、あんな方便の教えも必要かもしれぬが、今日では、たしかに時代遅れである。現に自分なども、そのためにどんなに進歩が遅れたか知れぬ。そこへ行くと、神の道は現金掛値なし、蓮の台もなければ、極楽浄土もなく、その人の天分次第、また心がけ次第で、それぞれ適当の境地を与えられ、一歩一歩向上進歩の途を辿り、自分に与えられた力量の発揮に、全力を挙げるのだから実に有り難い。それでこそ初めて生き甲斐がある。自分などは、まだ決して理想的な境地には達しないが、しかし立派な指導者がついて何くれと導いてくださるので、少しはこちらの世界の実情にも通じてきた。殊にうれしいのは、自分に守護霊がついていることで、今ではその方ともしょっちゅう行き来している。それは帰幽後五百年位経った武士で、なかなかのしっかり者である……。」
 「菊地さんの守護霊は、やはり戦国時代の武士だったのか、道理でしっかりしている筈だ……。それはそうと、菊地さんについていた坊さんが、急に神さんの姿に早変わりしたというが、あれどういう訳かしら……。」
 「僕も変だと思いましたから、いろいろ訊いてみましたが、死んだ人には、宗教宗派の如何を問わず、必ず大国主神様からの指導者がつくものだそうです。しかし仏教信者だの、キリスト教信者だのには、先入的観念がこびりついていて、真実のことを教えても、なかなか承知しないので、本人の眼が覚めるまで、神さんが一時坊さんの姿だの、天使の姿だのに化けて、指導しているのだそうです。随分気の永い話で、僕達には、まだとてもそんな雅量はありませんね……。」
 「仏教信者の方は大体それでわかったが、キリスト教信者はどんな具合かしら。」
 「実はそれについて、僕も菊地さんも、大いに不審を起して、神さんにお願いして、キリスト教の堅い信者を、一人よんで貰いました。その話はいずれ次回に申上げることにしましょう……。」

 その日の会談は、ひとまずこんなことで終わったのでした。

   浅野和三郎『新樹の通信』=第三編=〔本文復刻版〕
        潮文社、2010年、pp. 4-8 (現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 ここに出てくる菊地さんは、「堅い法華の信者」で、生前、ふだんから血圧が高くて医者から注意されていても、仏の御力に縋っていれば医者にかからなくても治ると考えていたようです。そのために、結局、脳溢血で倒れてしまいました。霊界へ移っても、日蓮宗への思い込みが強すぎて、暫くは、霊界での不動の決まりに素直に従えなかったのかもしれません。

 このような思い込みや、強い先入的観念が霊界の修行においては弊害になることはよくいわれてきました。それをここでは、菊地さん自身が自分の経験として、「先入主というものは、実に恐ろしいものだ。こちらの世界は、すべて観念の世界であるから、間違った考えを懐いておれば、全部がその通り間違ってきてしまう」と述懐していることに注目させられます。
(2014.04.04)



 43. 二、帰幽後の一キリスト教徒 (その1)


 「今日はかねて約束をしておいたキリスト教徒の話をきくことにしようかな……。」
 ある日私は新樹を呼び出して、そう話しかけました。
 「承知しました」と新樹は甚だ機嫌よく、「いや、あの日の僕の應接間は大繁昌でした。日蓮信者の菊地老人、既成宗教とはまるで没交渉の僕、そこへ一人のキリスト信者が加わったのですから、ちょっと一種の宗教座談会みたいな感がありました。お蔭で、僕も大へん勉強になりました……。」
 そんなことを前置きしながら新樹は、割合にくわしくその折の状況を報告しました。それはざっとつぎのようなものでした。

 「御免くださいませ。」
 そう言って、玄関に訪ずれたのは、痩せぎすの、きりっとした男性ふうの婦人でした。年齢はざっと三十位でしょう。僕は直ちにこの婦人を應接間に導き入れ、菊地さんと一緒になって、大いに歓迎の意を表しました。
 この婦人は、大へんに交際慣れた人で、すらすらと初対面の挨拶を述べましたが、ただ姓名だけは、僕が訊いても、なかなか名乗ろうとしませんでした。仕方がないから、僕はこう言ってやりました。――
 「こちらの世界では、あるいは姓名の必要がないかも知れませんが、僕は父に頼まれて、一切の状況を通信する責任があるのですから、せめて苗字だけでも名乗って下さい。単に或る一人の婦人といっただけでは、物足りなくて仕方がないです……。」
 「まあ左様でございますか」と婦人は微笑して、「格別名乗るほどの人間ではないので、控えて居りましたが、私は実は櫻林と申すものでございます。生前は東京に住んでおりまして、今から約十年以前に身罷りました。夫も、一人の子供も、まだ現世に残っております。」
 こんなことを語り合っている中に、部屋の空気は次第に和やかになりました。それにしても、地上生活中に一面識のなかった人間が、こちらの世界で、一つの卓子を囲んで話し込んでいるのですから、少々勝手が違い、随分妙だなあと思わぬでもなかったです。」

 話題はやがて信仰問題に向けられました。
 「あなたは、熱心なキリスト信者だと承りましたが」と僕が切り出しました。
 「ついては、あなたの死後の体験を率直にお話しして戴けますまいか。僕などは、何の予備知識もなしに、突然こちらの世界に引越し、従って、最初は随分戸惑いしました。それかといって、既成宗教も随分うそと方便が多過ぎるようで、かえって帰幽者を迷わすような点がありはせぬかと考えられます。どうせ、お互いに死んでしまった人間ですから、この際一つ思い切って、利害の打算や、好き嫌いの打算を棄てて、赤裸々の事実を、現世の人達に伝えてやろうではありませんか。幸い僕の母が、不完全ながら、僕の通信を受取ってくれますから、その点は頗る好都合です。もしも御遺族に何か言ってやりたいことでもおありなら、遠慮なくおっしゃってください。及ばずながら僕がお取次ぎします……。」
 「まあ、あなたはお若いのに、よくそんなことがお出来でございますこと。――いづれよく考えておきまして、お頼みすることもございましょう。――仰せの通り、私どもは堅いキリスト教の信者でございまして、殊に病気にかかってからは.一層真剣にイエス様の御手に縋りました。私のような罪深い者が、大した心の乱れもなく、安らかに天国に入らせていただきましたのは、全くこの有難い信仰のお蔭でございます。実は私は在世中から、幾度も幾度も神様のお姿を拝ませていただきました。一心にお祈りしておりますと、夢とも現ともつかず、いつも神さまの御姿が、はっきりと眼に映るのでございまして、その時の歓びは、とても筆にも口にも尽くせませぬ。そんな時には、私の肉体は病床に横たわりながら、私の魂はすでに天国に上っているのでございました……。」
 「なるほど」と菊地さんは心から感服して、
 「キリスト教も、なかなか結構な教えでございますな。臨終を安らかにすることにかけて、たしかに仏教に劣りませんな。……いや事によると、却ってキリスト教の方が優っているかも知れません。……それはそうと、あなた様の現在の御境遇は、どんな按配でございますか? 生前から、すでに神さまのお姿を拝んだ位ですから只今では、さぞご立派なことでございましょう・・・・。」
 「ところが、こちらへ来て見ると、なかなかそうでないから、煩悶しているのでございます。私が人事不省に陥っておりましたのは、どれほどの期間か、自分には見当もとれませんでしたが、とに角私は誰かに揺り起こされて、びっくりして眼を開けたのでございます。辺りは夕闇の迫ったような薄暗いところで、くわしいことは少しもわかりませんが、ただ私の枕元に立っている一人の天使の姿だけは、不思議にくっきりと浮かんでおります。
 「はて、ここはどこかしら……。」
 ――そう私が心にいぶかりますと、先方は早くもこちらの胸中を察したらしく、「そなたは最早現世の人ではない。自分はイエス様から言いつけられて、これから、そなたの指導に当たる者じゃ……」と言われました。
 かねがね死ぬる覚悟は、できていた私でございますから、その時の私の心は、悲しみよりも、むしろ歓びと希望とに充ちていました。
 私は言いました、「天使さま、どうぞ早く私を神様のお側にお連れ下さいませ。私は穢れた現世などに、何の未練もありませぬ。私は早く神さまのお側で、御用を勤めたいのでございます。」
 ――すると天使は、いとど厳かなお声で、「そなたの見苦しい身を以ては、まだ神のお側には行かれぬ。現在のそなたに大切なことは、心身の浄化じゃ。それができなければ、一歩も上には進めぬ……」とおっしゃられるのでした。
 これが実に私がこちらの世界で体験した、最初の失望でございました。イエス様にお縋りさえすれば、すぐにも神さまの御許へ行かれるように教えられていたことが、嘘だったのでございます。私の境遇は天国どころか、暗くて、さびしくて、どう贔屓目に見ましても、理想とは遠い遠いものなので、それからの私は、随分煩悶いたしました。のみならず、一たん心に疑いが生ずると同時に、後に残した夫のこと、子供のことなどが、むらむらと私の全身を占領して、居ても起ってもおられなくなったのでございます。つまり私の信仰は、死ぬるまでが天国で、後はむしろ地獄に近かったのでございました。
 私を指導してくださる天使さまも、こう言われました。「そなたは煩悶するだけ煩悶し、迷うだけ迷うがよいであらう。そうするうちに、心の眼が次第に開けてくる・・・・・。」
 ――最初は随分無慈悲なお言葉と、怨めしく思いましたが、しかしそれが矢張り真実なのでございましょう。私は天使様の厳格な御指導のお蔭で、近頃はいくらかあきらめがつき、一歩々々に、心身の垢を払おうと考えるようになりました。」

  浅野和三郎『新樹の通信』=第三編=〔本文復刻版〕
        潮文社、2010年、pp. 8-14 (現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 今度は、熱心なキリスト教信者の話です。新樹氏の家の応接間で菊地さんと共に、30歳くらいの女性で、きりっとした男性風の桜林さんを迎えて、一種の宗教座談会のようであったと新樹氏は報告しています。桜井さんに向かって、「もしも御遺族に何か言ってやりたいことでもおありなら遠慮なくおっしゃってください。及ばずながら僕がお取次ぎします」と言っていますが、全くあの世とこの世との間の壁を感じさせません。

 桜林さんの場合も、やはり「思い込み」なのでしょうか。次のような話を思い出します。――ある熱心なキリスト教信者の家が洪水で危険に曝されました。救助隊の人が来て避難するように告げましたが、その人は、私は神に守られているから大丈夫だといって、動こうとしません。洪水がひどくなって、また避難を勧められましたが、やはり聞き入れませんでした。さらに3度目に避難を強く呼びかけられても、避難しようとせず、とうとうその人は洪水に飲み込まれて死んでしまったのです。その人は、死んだ後、神様になぜ助けてくれなかったのかと、食ってかかりました。神様は言いました。「私は3度も助けに行ったのに、あなたはなぜ聞き入れなかったのかね」と。
(2014.04.11)



 44. 二、帰幽後の一キリスト教徒 (その2)


 「あなた様の毎日の御修行は、主にどんな御修行でございますか?」と菊地老人が、更に追究しました。
 「それはイエス・キリストの御神像に向かって、精神を集中するのでございます。つまり早く神様のお側に行けるようにと、わき目もふらず念じつめるのでございまして……。」
 菊地老人は、いかにももっともだと言わぬばかりの面持ちで僕を顧み、
 「新樹さん、形式は違いますが、これは矢張り精神統一の修行ですな。どうもこれより他に、格別の修行法はないものと見える……。」
 「全く御意見の通りですね」と僕も賛成しました。
 「要するに形式方法は末で、精神の持ち方が肝腎なのでしょうね。――ところで櫻林さん。あなたは今でも、イエス様を、神さまのたった一人のお子さんだと考えて居られますか。」
 「そう信じております。イエス様は世界万民の救世主、私どもの罪を償ってくださる、貴いお方でございます……。」
 「それは少し違っておりませんか」と僕は思い切って言ってやりました。
 「イエスは二千年前に、地上に現われた普通の人間、またキリストは、人類発生前から存在する宇宙の神さま、日本でいえば、つまり高天原をお治めになる天照大御神様です。人間と神様とを混線して取扱うのは、既成宗教のすべてが陥った弊害で、これはわれわれとして、大至急訂正を要する問題です。無論僕はイエスを心から尊敬します。が、同じ意味に於いて、僕は釈迦も、孔子も、ソクラテスも、弘法も、日蓮も皆尊敬します。なかでも僕は神武天皇様を、心から崇拝します。理想的な国家の体系、理想的な惟神の大道を確立されたお方は、世界のどこにも他にないですからね・・・・・。日本の教えの特色は、少しも混ぜものがないことで、神はどこまでも神、人はどこまでも人、載然と両者を切り離し、しかも両者の間に、しっかりと神人感応の道をつけてあるから、素晴らしいのです。あなたも、早くイエスを神の唯一の子と考えるような心の迷いからお覚めなさい。折角の精神統一が、そんなことでは台なしになります。いつまで経っても、あなたのまわりが暗いのは、たしかその為です。僕などは、生前信仰問題などには、まるで無頓着な呑気者で、その為にこちらへ来てから、一時大いにまごつきましたが、幸い歪んだ先入主がなかったばかりに、割合に早く心眼が開け、少しはこちらの世界の事情もわかってきました。キリスト教にも、たしかに良い個所はありますが、どうも少し混ぜものが多過ぎます。櫻林さんも、その混ぜものだけはお棄てなさい……。」
 「それでも私は、現在イエス様から遣わされた天使様さまのお世話になって居る身でございます。私にはそれに背く気にはまだなれません。」
 「僕は、そのご遠慮には及ばないかと思いますね。あなたが受け入れないので、あなたの指導者は、やむをえず西洋式の天使に化けているのですよ。僕の指導者も、あなたの指導者も、別に変わったものではないと思いますね。」
 「そうでございましょうかしら・・・・」と桜林夫人は、まだ首肯しかねる様子でした。
 「もしあなたのおっしゃるところが事実だとすれば、私の信仰は、根本から覆ってしまいます。どうかもう少し考えさせていただきます。」
 桜林さんは、気の毒なほど萎れ返って考え込みました。仕方がないので、僕と菊地老人とで、さまざまに慰め励まし、ともかくも、よく考えた上で、態度をきめるがよかろうと言って、その日の会見を打切りました。
 夫人が帰った後で、僕は少々手きびしく言い過ぎはしなかったかと、内々心配していましたが、そう案じたものでもなく、間もなく、夫人からうれしい音信がありました。その内容は大体こんなものでした。――

 「私は桜林でございます。先日は大そう結構なお話を伺わせていただき、心からお礼を申上げます。あれから帰りまして、私は早速私の天使様にすべてを打明け、あなたは、果してイエス様のお使者なのでございますか、とお訊ねしました。最初は何ともお答えがないので、私としては気が気でなく、むきになって再三問い詰めますと、『そなたの心が、そう荒んでいては駄目である。先ず心を鎮めよ』と仰せられ、そのままぷいと姿を消してしまわれました。私は何ともいえぬさびしい気分で、イエス様の御神像の前にひれ伏してお祈りをしている中に、だんだん心が落ち着いてまいりました。すると天使さまは、再び私の前にお姿を現わし、慈愛のこもった眼差しで、じっと私を見つめられながら、こう言われました。『実は自分は、イエスの使者でも何でもない。自分は大国主の神から、そなたの指導役として遣わされた龍神である。そなたは龍神ときいて、びっくりするであらうが、実はそなたに限らず、こちらの世界で、人間の指導に当たるのは、何れもみな龍神なのじゃ。日頃そなたは、頻りに神のお側に行きたいと祈っているが、あれは果敢なき夢じゃ。各自は器量相応の境遇に置かれ、一歩々々向上せねばならぬのじゃ。修行さえできればどんな立派な所へも行かれる・・・・・。』――その時ふと気がついてみると、今まで西洋の天使のような姿をされていたお方が、いつの間にやら、白い姿の六十ばかりの老人になって居られました。これを見ては、さすがの私も、漸く多年の迷夢から覚めました。矢張りあなたのおっしゃられたことが、正しかったのでございます。これから私も、元の白紙の状態に戻り、一生懸命に勉強して、一人前の働きのできるよう心がけます・・・・・。」

 僕はその後、まだ一度も櫻林さんとは面会していませんが、何れ機会をみて、訪問してみようかと考えて居ります。その際何か材料があったらまた通信します。今日はこれで……。

   浅野和三郎『新樹の通信』=第三編=〔本文復刻版〕
        潮文社、2010年、pp. 8-14(現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 イエスはたった一人の神の子ではなくて、地上に現われた普通の人間であると新樹氏が言っているのはその通りでしょう。また、生前、信仰問題などには、まるで無頓着であった新樹氏が、歪んだ先入主がなかったばかりに、霊界では割合に早く心眼が開けたと言っているのには注目させられます。

 桜林さんが天使様と思っていたのは実は龍神で、霊界では、まず龍神が人間の世話をするのだと、ここでは教えられています。さらに、霊界では、ただ神の側に行きたいと祈るだけではだめで、誰でも「器量相応の境遇に置かれ」て、一歩々々向上せねばならないとも言われていますが、私たちも、改めて、霊界が厳しい階層社会であることを認識しなければならないようです。
(2014.04.18)



 45. 三、幽界人の富士登山 (その1)


 ある日、母の守護霊さんから、「近いうちにあなたの母さんについて富士登山をするから、あなたも御一緒になすっては」との通信がありました。僕は生前に、一度も富士登山ができずに、こちらの世界へ引っ越してしまった人間なので、この勧誘には、少なからず感興を催しましたが、自分でもいろいろ考え、また僕の守護霊とも篤と相談した結果、母の一行とは別に、僕達二人きりで出掛けることに話がまとまりました。人間の体に憑って登山すれば、俗界の事情はよくわかるかも知れないが、それでは自然幽界の事情にはうとくなり、これもあまり感心しない。この際むしろ、純粋の幽界人として、富士山の内面観察を試みることにしようというのが、僕達の眼目だったのです。従って僕達の方が、母の登山よりも却って二、三日早くなりました。何しろこちらの世界の仕事は、至極手っ取り早く、思いたったが吉日で、現世の人間のように、やれ旅仕度だ、やれ時日の打合わせだ、といったような面倒くさい事は、一つもないのですからね。

 ところで、僕の守護霊さんも矢張り僕と同じく、生前一度も登山の経験がなかった人です。それで今度は思う存分に、登山気分を味わうべく、二人ともせめて現世の人間らしい恰好を造って行こうではないかということになりました。念のために、その事を指導役のお爺さんに申上げると、
 「それは面白いことだ。身体を造って登ることも、たしかに一理あるように思う」と大へんに力をつけてくれました。
 先ず僕達は服装の相談をしました。僕は矢張り洋服姿で出掛けるつもりで居ると、守護霊さんは、しきりに白衣を着るがよいと勧めました。
 「霊峰に登るには、洋服などはいけない。頂上には尊い神様もお鎮まりになって居られる。これは是非清らかな白装束でなければなるまい。」
 「あなたは白装束になさるが宜しいでしょうが」と僕は抗議を申立てました。
 「僕は生れた時代が違いますから、洋服で差支えないと思います。洋服にしないと、僕にはどうも登山気分が出ないのです。まさか洋服を着ても、罰は当たらないでしょう。」
 とうとう僕は、日頃愛用の洋服を着て行くことにしました。靴は軽い編上げ、脚にはゲートル、頭には鳥打帽という、頗るモダンな軽装です。守護霊さんは、これは勿論徳川式、白衣を裾短かにからげ、白の脚絆に白の手甲、頭には竹笠といった純然たる参詣姿です。
 「こりゃ大分不似合な道連れじゃ……。」守護霊さんは見比べながら、しきりにおかしがっておられました。
 さていよいよ出掛けようとした時に、僕はふと金剛杖のことを思いつきました。
 「仮にも身体を造って山に登る以上、別にくたびれはしないとしても、一本杖が要りますね。」そう僕が発議すると、守護霊さんも、
 「なるほど、そういうものがあった方がよいであろう」ということになり、それで、早速お爺さんにお願いし、めいめいに一本ずつ杖を取寄せて貰いました。
 「この杖は有り難いもので、ただ一概に木の棒と思ってはよくないぞ」とお爺さんから注意がありました。
 「これは魔よけになるもので、そち達にも、やはりこれがあった方がよいのじゃ。うっかりして悪霊に襲われぬとも限らぬからな……。」

 他にも、僕達が身に付けたものがありました。それは例の楽器で……。守護霊さんは、いつも愛用の横笛を帯にさし込み、また僕はハーモニカをポケットにしのばせました。何しろ僕達は、登山といよりも、むしろ修行に出掛ける意気込みですから、期せずして、二人の心は、日頃精神を打ち込んでいる仕事に向かった訳なのです。

      浅野和三郎『新樹の通信』=第三編=〔本文復刻版〕
        潮文社、2010年、pp. 18-21(現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 この世の多慶子夫人が富士登山をするのに霊界の守護霊・小桜姫が付いていくことになって、新樹氏にも一緒に登山しないかという誘いがあったというのには、霊界の不思議を感じさせられます。もし新樹氏がそれに同意して同行しておれば、新樹氏から、この世のお母さんと一緒に富士登山をしたという珍しい話が聞けたものを、とちょっと残念な気もしないではありません。

 結局、新樹氏は守護霊の佐伯信光氏と初めての富士登山をすることになるわけですが、そのために「現世の人間らしい格好を」造りました。登山のための服装なども詳しく伝えられています。魔よけの金剛杖をそれぞれに持ち、佐伯氏は愛用の横笛を、新樹氏はハーモニカをポケットに忍ばせて出発することになったこの富士登山の模様を、今回から4回に分けて載せていきます。
(2014.04.25)

 

  46. 三、幽界人の富士登山 (その2)


 仕度もすっかり整いましたので、いよいよ出発といっても、そこは現世のような、面倒臭い出発ではありません。ただ心で何所と目標さえつければ、すぐそこへ行っているのだから、世話はありません。僕達の選んだのは、例の吉田口で、ちょっと現界の方をのぞいてみると、北口とか、何とか刻みつけた石標があったようでした。その辺には、人間の登山者も沢山おり、中には洋服姿の人も見受けました。僕は守護霊さんに、それを指摘しながら、
 「御覧なさい、近頃の登山者はこんな恰好なのです。僕ばかりが仲間外れになってはいません……。」
 「なるほどな」と守護霊さんも非常に感心して、
 「近頃洋服が流行ると承っていたが、斯くまでとは思わなかった。これも時勢で致し方があるまい……。」
 どうせ人間の方から、僕達の姿は見えはしないのだから、どこを通っても差し支えはない筈ですが、しかし人間と一緒では、何やら具合がわるいので、僕達は普通の登山路とは少しかけ離れた、道なき道をぐんぐん登って行きました。そこは随分ひどい所で、肉体があっては、とても登れはしませんが、僕達はいわば顕幽の境を縫って行くのですから、何やら地面を踏んでいるようでもあり、また空を歩いているようでもあり、格別骨も折れないのです。その感じは一種特別で、こればかりは、ちょっと形容ができません。まあ夢の中の感じ――ざっとそう思っていただけばよろしいでしょう。なに金剛杖ですか、……矢張り突きましたよ。突く必要はないかも知れないが、しかし突いた方が、矢張り具合がよいように思われるのです……。
 しばらく登ると、そこに一つのお宮がありました。勿論それは幽界のお宮で、つまり現界のお宮の、一つの奥の院と思えばよいわけです。そこには男の龍神さんが鎮まっておられましたので、僕達は型の如く拍手を打って、祝詞を上げ、「無事頂上まで参拝させて戴きます・・・・・」とお祈りしました。万事現世で行なうのと何の相違もありません。
 それから先はひどい深山で、大木が森々と茂っており、いろいろの鳥がさえずっていました。なに、それは現界の鳥かとおっしゃるのですか。そうではありません。すべてが皆幽界のものです。僕達には現界の方は、たまにちらりと見えるだけで、普通はこちらの世界しか見えません。ですから鳥の鳴き声だって、現界では聞いたことのないのが混っています。顕と幽とは、いわば、つかず離れず、類似の点があるかと思えば、また大へん相達している個所もあり、僕達にも、その相互関係がよくわかりません。うっかりしたことを言うと、とんだ間違をしますから、僕はただ実地に見聞したことだけを申上げます。理屈の方は、どうぞ学問のある方々が、よくお考えください・・・・・・。
 やがてある地点に達しますと、そこには、ごく粗末な宮らしいものが建っていました。それがどうやら、山の天狗さんの住居らしいので、守護霊さんと相談の上で、一つ訪問する事にしました。僕はお宮の前に立って拍手を打って、「こちらは富士の御山に棲われる、天狗さんのお住居ではありませんか?」と訊いてみたのです。が内部はひっそり閑として、何の音沙汰もない。
 「はて、これは違ったかしら……。」僕達が小声でそんなことを言っていると、俄かにむこうの方でとてつもない大きな音がする。何かと思って、びっくりして顔を見合わせている間に、何時何所をどう入ったものか、お宮の内部には、何やらがさこそと人の気配がします。
 「矢張り天狗さんが戻って来たのだな。今の大きな物音も、たしかにこの天狗さんが立てたに相違ない……。」

 僕はそんなことを思いながら、そっと内部をのぞいて見ると、果して一人の白髯を生やした、立派な天狗さんが、堂々と坐り込んでいました。その服装ですか……衣服は赤煉瓦色で、それに紫の紐がついており、下には袴のようなものを穿いていました。いうまでもなく、手には羽団扇を持っていました。

      浅野和三郎『新樹の通信』=第三編=〔本文復刻版〕
        潮文社、2010年、pp. 21-24 (現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 新樹氏と守護霊の佐伯信光氏は、吉田口から富士山へ登ることになりました。「ちょっと現界の方をのぞいてみると」などと新樹氏は気軽に言っていますが、こんな調子でこの世の様子を見ているのでしょうか。「どうせ人間の方から、僕達の姿は見えはしないのだから」などとも言いながら、肉体があってはとても登れそうもない「道なき道をぐんぐん登って」行く二人の姿は、私たちには想像するほかはありません。

 新樹氏の説明で、富士登山で聞える鳥の鳴き声なども、「現界では聞いたことのないのが混っています」とあるのは興味深く思われます。歩くという動作も、「いわば顕幽の境を縫って行く」ようなもので、「何やら地面を踏んでいるようでもあり、また空を歩いているようでもあり、格別骨も折れない」と述べられています。そして、新樹氏と佐伯信光氏は、白髯を生やした、立派な天狗さんに逢うことになりました。
(2014.05.02)



  47. 三、幽界人の富士登山 (その3)


 僕たちは扉を開けて、丁寧に挨拶を述べましたが、あちらは案外やさしい天狗さんで、
 「まあ上れ!」というのでした。
 「いや、ただご挨拶だけさせていただきます。先刻はお不在のように拝見しましたが……。」
 「わしは宮の内部にばかり引き籠ってはいない。或る時は樹木のてっぺんに居たり、また或る時はお山の頂上まで行ったり、これでなかなか忙しいのじゃ。」
 「この宮にはたった一人でお住まいですか?」
 「いや、眷族が多勢居る。わしが一つ口笛を吹けば、皆一散に集まって来る……。」
 「そんな光景を、一度拝見させていただくと、大へんに結構だと思いますが……。」
 「それはちょっと出来ん。・・・・・みな用事を帯びて他所に出ているからな。」
 天狗さんは、口笛だけはどうしても吹いてくれませんでした。それで僕は話題をかえて、
 「あなた方からご覧になると、一体僕たちは何者に見えますか?」
 天狗さんは、最初僕達二人を、普通の人間かと思ったらしく、しきりにじろじろ見ていました。僕の方でも、なるべくそう思わせるように努め、さも現世人らしく振舞いました。
 が、そこはさすがに功労を経た天狗さんだけあって、一種の術を心得て居り、さかんに九字を切って、何やら神様に伺いをたてている様子でした。やがてずかずかと僕達の方に近寄り、先ず守護霊さんの両手をつかんで、ぐっと引寄せ、下から上へと身体中を撫でました。つづいて僕の事もそうしてみて、何やらにたっと笑いました。
 「いかがですか、僕たちの正体がわかりましたか?」
 「いや、神様に伺ってよくわかった。あなた方は、矢張り幽界のもので、修行も相当できているが、今回見学のために、わざわざ身体を造って、富士登山をしたものじゃそうな。わしも最初から、どうも様子が少し変だとは思っていた。何やら妙に親しみがあって、威張りたいにも威張れなかった。地上の人間なら、一つ大いに嚇かしてやるところなのじゃがな。あははは……。」
 「どうぞお手柔らかに・・・・・。実は僕たちは、これでも少しは天狗界の事情を知って居り、随分不思議な術を見せて貰ったこともあります。」
 「あぁ左様か……。わしにも術があるのだが、この山では禁じられているから駄目じゃ。」
 天狗さんは、よほど僕たちに対して好奇心を起したらしく、頻りに根掘り、葉掘り、僕たちの身元調べをしました。別に隠す必要もないので、僕たちも経歴のあらましを物語り、二人とも音楽に趣味をもっていることを話すと、天狗さんはますます乗り気になりました。
 「是非あなたの笛をきかせてもらいたい。わしは笛が大好きじゃ。」
 「ただではこの笛は吹けません」と僕の守護霊さんも、そこはなかなか如才がありません。
 「あなたが口笛を吹いて下さるなら、私も笛を吹きましょう。」
 「これは困った。いま口笛を吹く訳にはいかぬ。ではあなた方の帰り道に、また立寄ってください。その時に大いに口笛を吹いて、眷属を集めてお目にかけるから……。」

 とうとう笛も口笛もお流れになってしまいました。帰りには別の道を通ったので、従ってこの天狗さんとも逢わず、今以てこの話はそのままになっております。そのうち機会があったら、わざわざ出かけて行ってもよいと思っています。概して天狗というものは、気持がさっぱりしていて、そして案外に無邪気で、こちらがその気分を呑み込んで交際しさえすれば、すこぶる与し易いところがあるようです。天狗と人間との交渉は、相当密接なようですから、今後もせいぜい気をつけて、報告することにしましょう。

      浅野和三郎『新樹の通信』=第三編=〔本文復刻版〕
        潮文社、2010年、pp. 24-26 (現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 作家の佐藤愛子さんが霊的な師と仰いでいた相曾誠治氏は、神界から来た人といわれていました。その相曾氏は、毎年7月に富士山頂まで日帰りで登り、山頂で神事を行なって日本と世界の平和を祈願していたのだそうです。80代半ばの高齢な氏が、日帰りで富士山の登山下山ができるわけを佐藤さんが訊くと、「天狗さんが助けてくれますので」と、相曾氏は答えていました。(『私の遺言』 195頁)

 相曾氏は、「登る時はみんなで後押しをしてくれますのであっという間に山頂に行き着きます。でもその姿は人の目にはみえません」と言っていたのですが、この新樹氏の天狗さんとの対話の部分で、相曾氏を助けていた天狗さんたちのことを思い出しました。私たちには見えなくても、天狗さんはいますし、天狗さんの住居のお宮もあるのですね。そして、ここでもこの世とあの世との、顕と幽との「つかず離れず」の深い関係を考えさせられます。
(2014.05.09)



  48. 三、幽界人の富士登山 (その4)


 僕たちは天狗さんと別れて、また登り出しました。時々現界の登山者達の方をのぞいて見ましたが、何れも気の毒なくらいくたびれて、気息をはずませていました。こちらはその点一向平気なもので、平地を歩くのとさして変わりません。
 「これではあまり楽すぎて、登山気分が出ませんね。」
 「脚につけた脚絆の手前が、恥かしいくらいのものじゃ。」
 ――僕達はそんなことを語り合いました。

 森林地帯が過ぎて、いよいよ禿山にかかろうとする所で、僕達はともかくも岩角に腰をおろして、一と息をすることにしました。
 「やれやれくたびれた。どっこいしょ……。」― 僕は冗談にそんなことを言いましたが、勿論ちっともくたびれてはいません。こんな場合、現界の人なら煙草でも吸うとか、キャラメルでもしゃぶるとかするところでしょうが、僕達にはそれもできません。あっけないことおびただしい。
 あまり手持無沙汰なので、一つ音楽でもやろうということになり、守護霊さんは腰間の愛笛を抜き取り、僕はポケットのハーモニカを取り出しました。これまで僕は何回となく、守護霊さんと合奏しておりますから、近頃はとてもよく調子が合います。できることなら、一度皆さんに聞かせてあげたいのですがね……笛とハーモニカの合奏も、なかく悪くないものです……。
 それはとにかく、僕の守護霊さんが、小手調べのために、笛を唇に当てて二声三声、ちょっと吹き鳴らした時です、思いもよらず、どこか遠い所から、りゅうりょうとした笛の音が聞えてきました。僕達はびっくりして、互に顔と顔とを見合わせました。
 「登山者の中に、誰か笛を吹くものがいるのかしら……。」
 「いや、あれは人間界の音色ではない」と守護霊さんは、じっと耳をすませながら、
 「人間界では、あんな冴えた音が出るものではない。たしか神さんの手すさびに相違ない……。」
 僕達は合奏どころでなく、しきりにあれか、これかと臆測をめぐらしましたが、とうとう守護霊さんが統一をして富士山守護の神霊に、その出所を伺うことになりました。すると直ちにむこうからお知らせがありました。
 「只今吹奏されたのは、富士神霊のお附の女神である。そなたの笛が先方に通じ、お好きの道とて、うっかり調子を合わせられたものであろう。……」
 それと知った時に、僕は有頂天になりました。―
 「やあ、こいつは面白いことになってきた。守護霊さん、一つ是非その女神さんに、こちらへお出でを願って、合奏していただきましょう。」
 「それもそうじゃ。一つあちらへ申上げてみることに致そう。遠方からの合奏では、何やら物足りない。」
 さすがに僕の守護霊さんは、音楽に生命を打ち込んでいる人だけあって、こんな場合には、少しも躊躇しません。早速その旨をあちらに申込んで快諾を得ました。

 待つ問程なく、間近かにさらさらという衣ずれの音がします。見ると一人の女神さんが立っておられました。年の頃は凡そ二十七八、頭髪はてっぺんを輪のように結んで、末端を背後に垂れ、衣裳は蝉の羽に似た薄もの、大体が弁天様に似たお姿でした。顔は丸顔、そして手に一管の横笛を携えておられましたが、それは目ざめるばかりの朱塗の笛でした。
 僕は文学者でないので、うまく表現ができませんから、一つ母の霊眼に見せておきます。後でよく訊いてみて下さい。とにかく現世では、ちょっと見られそうもない、気高い風釆の女神さんでした。
 女神さんの方では、よほどわれわれを不審がっておられるようでした。
 「先刻は大そうよい音色を耳にしましたが、あれはあなた方がおやりなされたのですか?」
 「お褒めに預かって恐縮いたします」と守護霊さんが恭しく答えました。
 「私の笛などはまだ一向未熟、とても神さまの足元にも寄りつける程ではござりませぬが、ただ日頃笛を生命としております以上、せめては一度お目にかかり、直接お教えにあずかり度く、もったいないこととは存じながら、ついあんな御無理を申上げた次第・・・・・。つきましては、甚だ厚かましうございますが、是非、何とぞ天上の秘曲の一つを、お授け下さいますように……。」
 熱誠をこめた守護霊さんの頼みには、女神さんもさすがにもだし難く思われたものとみえ、傍の岩角に軽く腰をおろして、心静かに、妙なる一曲を吹奏されました。残念ながら、最初僕には、その急所がよくわからなかったが、そこはさすが本職、僕の守護霊さんは、ただの一度で、すっかり覚え込んでしまい、女神さんが吹き終わると、今度は入れ代わって、その同じ曲を、いとも巧みに吹いてのけました。
 「あなたは、稀に見る楽才のあるお方じゃ……。」
 女神さんはそうおっしゃって、ひどく感心しておられました。
 「只今のは、あれは何と申す曲でございますか?」
 僕がそう訊ねると、女神さんはにこにこしながら答えられました。
 「これは富士神霊様が日頃お好みの曲で、「八尋の曲」と稀えられておりまする。大そういわれの深いもので・・・・・。」
 この女神さんは、至って口数の少ない方で、細かいことは何も教えてくれませんでした。それで別れ際に、こんなことを言われました。
 「あなた方も、いずれ頂上へお詣りであろうから、その際は富士神霊様にお目通りをさせて上げましょう……。」
 そう言ったかと思ったら、いつとはなしに姿がぷいと消えてしまいました。

 とにかく、この時の守護霊さんの歓びといったら大したもので、女神さんが去られた後で、何回となく「八尋の曲」の復習をやり、僕にも丁寧に教え込んでくれました。お蔭で僕にもーハーモニカで、立派に合奏ができるようになりました。

     浅野和三郎『新樹の通信』=第三編=〔本文復刻版〕
        潮文社、2010年、pp. 27-30 (現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 登山中の新樹氏と守護霊の佐伯信光氏は、平地を歩くのと変わらないくらい楽なので「これではあまり楽すぎて、登山気分が出ませんね」などと言っています。時々現界の登山者たちをのぞいて見ると、みんな気の毒なくらいに疲れて息をはずませているわけですから、これは不思議なコントラストです。「やれやれくたびれた。どっこいしょ……」と、新樹氏が冗談を言って疲れたふりまでしているのには微笑を誘われます。

 手持無沙汰で、新樹氏と佐伯信光氏はハーモニカと笛で合奏することになりました。佐伯氏が小手調べに、笛を二声三声、吹き鳴らした時に、どこか遠い所から妙なる笛の音が聞えてきて、その奏者の富士神霊お附の女神さんと逢うことになります。年のころは27,8歳の丸顔で、「現世ではちょっと見られそうもない気高い風釆の女神さん」でした。新樹氏はその女神さんの姿を「うまく表現ができませんから一つ母の霊眼に見せておきます」と言っていますが、そんなことも出来るのですね。
(2014.05.16)



 49. 四、霊界の音楽修行


 母の守護霊の修行談は、僕も相当敬服させられております。こちらの霊界へ来た人の中にも、なかなかあれくらい生一本に、あれくらい脇目もふらすに、修行三昧に浸っているのは、そうざらにはないようです。それにつけても、僕はふと考えました。母の守護霊があんなに修行しているくらいなら、僕の守護霊だって、何か苦心談の一つや二つはあるだろう。一つ訊いてみようかしら……。
 早速守護霊に当たってみると、果していろいろ話があるとの事でした。しかしとても一度には物語れないから、今回はその中の一端・・・・・音楽修行の話をしようといって次の物語をしてくれました。母の守護霊とは、すっかり行き方の違っているのが、幾らか面白いところだと思いますが、ただ通信機閲がやはり僕の母の身体なので、うまくこちらの気分が出るかどうかが気がかりです。うっかりすると、肝腎な急所が、途中で消えて無くなってしまいそうで。
 念のために申上げておきますが、僕の守護霊は佐伯信光といって、僕と同じく全く若年…‥享年二十九で死んだ人で、今も矢張り若い顔をしています。指導役のお爺さんとなると、僕達とは段違いの龍紳さんですから、何となく気が引けますが、守護霊の方は、何だかこう気の合った友達、といっては相済まないが、大へんに親しみがあって、どんなことでも、遠慮なく談話ができます。性質は至ってやさしい、多趣味の人で、殊に音楽がもともと本職ですから、その点にかけては、とても僕達の及ぶところではありません。僕がいかに守護霊の感化で音楽が好きだといって、片手間の余技として、少しばかり噛っただけですから一向駄目です。こんなことになったのも、畢竟時代の影響というものでしょう。僕だって、僕の守護霊のように、あの悠長な元禄、享保時代に生れていたら、或はそっちの方に、少しは発達していたかしれません。いや余談はさておいて、早速守護霊の修行の話に取りかかります。なにしろ僕の守護霊は、会身全霊を音楽に打ち込んだ位の人ですから、こちらの世界でも、非常に閑静極まるところ住んでおります。これがその談話です。――

 死ぬるまで、音楽で身を立てようとしていたのが、病のために中道に倒れたのですから、残念で残念でたまらなかった。勿論帰幽後しばらくは、うやむやに過した。精神が朗らかにならなければ、とても音楽の修行などは、思いもよらぬことなのである。が、指導霊のお世話で、すっかり正気を取り戻すと同時に、私が真っ先に考えたのは、こちらの世界で、もう一段も二段も、笛の研究をしてみようということであった・・・・・・。
 それで早速指導霊に向かい、勝手ながら私には笛の修行をさせていただきたいと願い出た。それはきき届ける、とのことであったので、いろいろ指導霊とも相談の上、こういう仕事は、深山の方が、一番音色も冴えてよかろうという訳で、直ちにその段取をして貰うことになった。
 私は指導霊に伴われて、とある深山に分け入ったが、意外にも、それが自分の予想したよりも、はるかにさびしい所なので、内心少々気味が悪くなり、自然、顔にもさびしそうな色が現われたのであろう、早速指導霊からたしなめられた。そんな鈍い決心では、修行などはとても駄目である。さびしいといって、時々はわしも見まわりに来てやるし、またそちの守護霊も世話してくれる。それから昔の笛の上手な者も、稽古をつけてくれることになっている。……しつかり致せ!
 私はこれに励まされ、自分で自分を叱りつけると、間もなく心が落ついてきた。それから程よき地点を選んで、そこに修行場を建てて貰ったが、それは一人住まいにしては、大へん広々とした、立派な家屋であった。すべてが白木造りで、周囲に縁がついており、そして天井が甚だ高い。これでないと、笛の響きがうまく出ないので……。また部屋の広いのは、一つには師匠に来ていただいたり、笛の仲間を招いたりする都合もあるからで……。
 私には生前非常に愛玩していた一管の笛があった。それは私の死んだ時、棺の中に納めてもらったが、いよいよ修行場へ落ち着くと同時に、私はその笛を取り寄せてもらった。笛そのものに、何の相違もないが、しかしこちらで吹いてみると、その音色は生前よりも、はるかに冴えて感じた。殊に現界の真夜中時と思われる頃になると、あたりはしんしんとして、笛の音は満山に響き立った。どうしてこんな良い音が出るのか、これが生前出てくれたならば……。いつもそう思われるのであつた。
 私が自分の生命を、笛一つに打ち込んで、われをも忘れて吹きすさんでいると、天狗達がそれをききつけて、よく遊びに来る。多い時は五人も来る・・・・。天狗の中には、笛の心得のあるのがある。私が天狗に教えてやることもあるが、時とすれば、言うにいわれぬ秘伝を、天狗から教えられる場合もある。また笛につれて、天狗達が舞うこともある。風に翻る華麗な衣裳、さし手引く手の鮮かさ、なかなか以て、地上では見られぬ光景である。
 時としては、精神統一中に、いずこともなく、音楽が聞えてくることがある。それはとても妙なる楽の音で、これが私にとって、どんなに良い修行になるかしれぬ。そうした場合に、自分もよく笛をとり出して合奏してみるが、その楽しみはまた格別である。殊に生前ヒチリキの名人であった人が、よく私と合奏をやる……。

 大体これが僕の守護霊の音楽修行の談話です。僕もそんな話をきかされると、少々羨ましくなりますが、残念ながら、僕の素養が足りないので、とても僕の守護霊のように、うまい訳にはいきそうもありません……。

    浅野和三郎『新樹の通信』=第三編=〔本文復刻版〕
        潮文社、2010年、pp. 31-35(現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 私たちには、一人ひとりに守護霊と指導霊がついているといわれますが、ここに出てくる「母の守護霊」というのは小桜姫のことです。新樹氏の守護霊は29歳で亡くなった佐伯信光氏で、「指導役のお爺さん」というのが指導霊だと思われます。佐伯信光氏は笛の修行をするのにいろいろと直接、指導霊から指図をうけていたようです。広い修業場を建ててもらって、指導霊から「わしも見まわりに来てやるし、またそちの守護霊も世話してくれる」と言われています。

 佐伯信光氏には生前非常に愛玩していた一管の笛がありました。その笛は死んだ時、棺の中に納めてもらったのですが、修行を始めるにあたって、その笛を取り寄せてもらったと言っています。愛玩していた笛を再び手にして、それを吹いてみると、その音色は生前よりもはるかに冴えた感じで、時には笛の音にあわせて天狗達が舞うこともあり、「さし手引く手の鮮かさ、なかなか以て地上では見られぬ光景である」と述べられているのには、私たちも想像をかきたてられます。
(2014.05.23)



  50. 五、父の臨終を視る


 新樹は若くして大連に客死しましたが、其の事は前の通信にも掲げられてあります。当時彼の父は、告別式を執り行うべく大連に赴いたその留守中、私は中西霊媒を通じて、彼に死の通告をしたのでした。この事も『新樹の通信』(その二)の序に書いてある通りです。
 爾来新樹を招霊して、彼と通信を試みることは、勿論彼の父の担任するところで、私が直接関係すべきものでもありませんから、十年近くも彼と会話を交える機会なしに過ごしました。然るに昨年彼の父もまた世を辞したので、ここに再び彼との通信を試みるべき廻り合わせとなりました。十年前に彼は、自身の死を私より通告され、十年後の彼は、父の死を私に語る立場となったのです。私は彼等父子の死に、何か因縁があるような気がせぬでもない。
 それは兎に角、この通信は、昭和13年3月24日、彼の母を通じてなされたものです。(浅野正恭)

     *****

 新樹は生前そっくりの、朗らかな調子で出て参りました。
 「新樹です! 伯父さん暫らくお目にかかりませんでした。皆さんお丈夫ですか。伯父さんも大分お年を取られたでしょう……。あれからもう十年近くになるということですから……。」
 「私もどうかこうか丈夫では居るが、お前の親父が私より早く亡くなってしまったので、私も実は弱った。一身一家の事だけならどうともするし、また成るように成っても行くだろうが、そうではないのだから……。」
 「父が亡くなる前に、母の守護霊から通信を受けましたので、僕は父が病気であることを承知して、びっくりしました。びっくりはしましたが、猶予して居る揚合でないので、神様にお願いもし、また母の守護霊とも一緒に、こちらで出来るだけの手段を尽くしました。が、定まる命数とでも申すのでしょうか、どうすることも出来ませんでした。
 で、僕としては、泣く泣くこちらへ来られる際の安らかならんことを、神様にお願いするよりほかに術がありませんでした。神様もそれは御承知下され、心配せずとも宜しいと申されましたので、其の方は安心することが出来ました。
 僕は今父の死に直面せざるを得なくなりまして、新たに死という問題を考えさせられました。自分の事などは兎に角、父はこれまで心霊研究に尽くして来て、その功績もまた特筆に値するものがあると信じます。僕は母の守護霊から、父のこれまでの事業に就いて聞かされ、それが未だ完成の域に達しておらぬ事も、承知しております。即ち事業半ばにして、父はこちらの世界へ来られるのでありますから、さぞ無念に思って居ることだろうと察して、僕は深く悲しんだのであります。
 父はこの心霊事業のために、艱難辛苦を重ねましたが、それでもまだ完成に至らなかったということは、この事業が如何に困難であるかを語るものでしょう。困難であるというのは、世の中から認められないということですが、それでも父は、ここまでやってきたので、堅い堅い不動の決心がなければ、到底出来る事ではないでしょう。僕はそれを思うと感慨無量、涙自ら下るのであります。」
 こう言い終わると、彼のかかった母の首は自然にうなだれ、両眼からは涙がほろほろこぼれるのでした。私は感傷的になっては困ると思い、
 「ここで私の考えていることを言うことにするが、お前の父は、二十年の長い間、心霊事業に全身全霊を打ち込み、悪戦苦闘を続け通してきた。しかし人間の生身には、およそ限りというものがあって、どこまでもそれを続けて行くことは出来ない。そしてこの事業が、右から左へと簡単に行ける性質のものでないことは、二十年の苦闘の末に、漸く基礎が出来たという程であるのをみてもわかる。基礎が出来てからは、後は順調にとんとん進んで行くかというと、そう平々易々な路も辿り得るものとは考えられない。そう考えることが出来れば甚だ結構なのだが……。
 そんな訳で、生きて居る限り、今後ともやはり悪戦苦闘を続けて行かねばならぬとみるのが、贔屓眼を離れての見方であると思う。そしてお前の父は、死の直前迄働き続けて来たので、人生の役目は充分に果たして居る。事業の完成に至らなかったことは、如何にも残念だが、それでも基礎工事だけは出来た。これからは後の人がやるべきで、いつまでも生き残って、悪戦苦闘を続けるようにと願うことは、私には何だか残酷なような気がせぬでもない。
 それは兎に角、親父はそちらの世界の人となったからには、今後はそちらの世界の研究を進めることになるだろう。そちらの世界には衣食住の心配がなく、いかに勉強しようとも、魂を磨く手段とこそなれ、悪戦苦闘などということがなくなるから、永遠の生命という方面から見れば、或は現世を離脱することが、一つの仕合せであるのかも知れぬ。人は遅かれ早かれ、どうせ現世を見捨てねばならぬのだから……。
 こんな一片の空理、――仏教家の悟りめいたことを言ってみたところで致し方がない。心霊研究事業は、人生現実の問題として、重要喫緊な一大事である。それが未だ完成を見るに至らずして逝いたということは、如何にも惜しい。が、何時かはこの問題が、世を風靡するに至るであらう。日本だって、何時迄もこれに無関心ではあり得ないことも明らかだ。そしてその基礎を築いた浅野和三郎の名は、永久に残ることになるだろう。逝いた者も、後に残る者も、それをせめてもの慰めとすべきであろう。
 「それはそうと、まだ父に会うことは許されまいと思うが・・・・・・。」
 「ここ当分は、親子肉親の関係から、会わしてくれません。しかしそれも当分のうちだと思います。その時は、僕自身の経験に基づいて、なにかと先導の役をつとめる積りで居ります。」
 「たとえ面と向かって会わないにしても、他所ながら父の様子は見ているのだろう、母の守護霊などと一緒に……。 それはそうとして、父の臨終の模様を見たことと思うが、今日はその様子を話して貰いたいのだが……。」
 「僕は近頃幸いに、霊視がきくようになりまして、父の臨終の模様を、神様にお願いして見せてもらいました。僕は自分の臨終を見ることが出来なかったから、一度他人の臨終を見たいと、日常思っていましたが、それが図らずも父の臨終を見ることになったのです……。
 先に申しました通り、僕は神様に、父がもう一度本復するようにとお願いしました。が、それは駄目でした。僕も仕方なく諦めて、この上はただ臨終の安らかなるよう祈りました。そして父の容態がどうなっているかを、神様にお願いして見せて貰いました。打見たところ、さして苦痛もなさそうで、こんな事で、こちらの世界へ来るのかしらと、実は不審に思った位です。ひょっとしたら、或は神様のお見込み違いではないか。――それなら甚だ結構なのだが……。それとも神様が僕を試しておられるのではないかなど、それからそれへと疑念が起って参ります。で、もう一度神様にお伺いしたのですが、神様はそうではない、こちらで守護しているから、そう見えるだけだ。これは最大の幸福であると仰られるのでした。
 親子の情と申しましょうか、そう神様から申されましても、僕には父が死ぬとは、どうしても思われませんでした。で、何遍も何遍もお伺いしましたが、同じ答しか得られなかったのです。致し方なく、僕も暫らく静観するよりはかありませんでした。そうするうちに、脈がだんだん細く弱くなり行くよう感じて参りました。
 僕は生前父から聞かされていましたので、早速父の守護霊と談じました。
 「父はこれ程も心霊を研究し、日本における心霊の開拓者であるから、何か一つ現世に偉大な置土産を残すことにしてはどうでしょうか。」
 と申しますと、父の守護霊は、
 「承知致した。それには幽体が肉体から離脱して行く様子を本人に見せるのが、一番よろしいと思う。」
 との事でありました。そしてその方面に取り掛かられたのでした。ですから、父も幽体の離脱する状況を、立派に見ている筈です。」
 「この前に既に招霊して、幽体離脱の状況を聴取し、雑誌に掲載することにしてある。」
 「そうですか? もう通信があったのですか。なかなか抜け目がありませんね。・・・・・僕なんか青二才は全く駄目です。ではこれから僕の見た幽体離脱の状況をお話ししましょう。
 「僕としては、残念ながら、自分の幽体の離れるさまを見ることが出来ませんでした。これは、畢竟、心霊知識に乏しかったためで、父の幽体離脱だけは見たいと思い、前にも申したとおり、神様にお願いいたしました。幽体離脱ということについては、生前父から聞かされたことはありましたが、詳しいことなどもちろん存じません。それで父の場合には、亡くなる時間がちょっとあったようでしたね。父はそれまで下に寝ていましたが、起き上がりました。起き上がってから、幽体が離脱し始めたのです。」
 「その時かどうかは知らぬが、しきりに起き上がろうとするので、私は勝良(新樹の兄)に抱き起こさせた。」
 「父が起き上がると、幽体は足の方から上の方へと離れ始めました。幽体と肉体とは、無数の紐で繋がっていますが臍の紐が一番太く、足にも紐があります。脱け出たところを見ると、父は白っぽいような着物を着ておりました。
 僕は足の方から幽体が脱けかけ、頭の方へと申しましたが、それはほとんど同時といってもよい位です。そして無数の紐で繋がれながら、肉体から離れた幽体は、しばらく自分の肉体の上に、同じような姿で浮いているのです。そして間もなくそれらの紐がぷつぷつと裁断されて行きました。これが人生の死、いわゆる玉の緒が切れるのです。」
 「どの紐から切れ始めたか。」
 「臍のが一番先で、次が足、頭部の紐が最後でした。紐の色は白ですが、少し灰色がかっております。そして抜け出た幽体は、薄い紫がかった色です。
 なに! 紐が切れる時に音でもしたかというのですか。それは音なんかしません。その切れるさまは実に鮮やかで、何か鋭利な刃物ででも切られたのではないかと思われるほどでした。
 僕はまのあたりに父の幽体の離れ行くさまを見て、実に何ともいえぬ感慨に満たされました。この離れた幽体は、しばらくそのままでおりましたが、やがて一つの白い塊となって、いずこへか行ってしまいました。それから後のことは、僕には何もわかりませんでした。
 「僕は父などと違い、大変な執着を持っていました。第一に肉親に対する執着。――この執着から先ず離れねばならぬと、神様から申されましたが、これは忘れようとして容易に忘れられるものではありません。このためにどれだけ神様に叱られたかわかりません。そのお蔭で、今日これまで仕上げられたのです。父もあれだけの事業を残されたので、執着も必ずあることだろうと思います。
 父はかねがね両親のことを心配しておられたから、神様からお許しが出たなら、まず第一に面会されるだろうと思います。その時は僕もお供をしましょうし、また通信もするでしょうが、何を申すにも、今はまだ帰幽後まもないことで、僕はよそながら幽体の離れ行く状況を見て、それを伯父さんにお話しする程度にすぎません。伯父さんの方に、何か問題がおありでしたら、僕が神様に伺ってお答えしましょう。

 この幽体離脱の状況は、本人の見るところとも、また他の霊視能力者の見るところとも大体一致しております。で、人間の死んで行く状態は、多少異なるところがあるとしても、大体こういったものと思えば大差なしでしょう。

      浅野和三郎『新樹の通信』 =第三編= 〔本文復刻版〕
        潮文社、2010年、pp. 36-44(現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 はじめの文章を書かれた浅野正恭氏は和三郎先生の兄上で、海軍中将であった人です。新樹氏からの通信に立ち会っていたように、霊界通信や和三郎先生の心霊研究のよき理解者でした。ここでは、新樹氏が小桜姫から和三郎先生の病気を知らされ、神様に回復をお願いしたことが述べられています。しかし、それは叶いませんでした。それで新樹氏は「泣く泣くこちらへ来られる際の安らかならんこと」を神様にお願いしたのですが、それは受け容れられて、「心配せずとも宜しい」と神様は申されました。

 私たちの死ぬ時期も死に方も、このように天の摂理によって定められていることがわかります。そしてここでは、神様にお願いして父の臨終の模様を見せてもらったと新樹氏は言っていますが、これは極めて貴重な稀有の記録だと思われます。「僕はまのあたりに父の幽体の離れ行くさまを見て、実に何ともいえぬ感慨に満たされました」という新樹氏の感慨には心を打たれます。人は死ぬ時にはみんな、このようにして、肉体から幽体が抜け出し、玉の緒が切れて霊界へ向かっていくようです。
(2014.05.30)



  51.  六、 天 狗 探 検 譚


 この前伯父さんと約束しておいた、天狗の探検ですが、僕は第一に、その事を指導役のお爺さんに相談しました。お爺さんも賛成してくれ、解らぬところは教えてやるからというので、僕は一人で出かけることにしました。
 天狗といっても、それには高尚なもの、やくざなもの等、たくさん種類があり、またその数も大へん多いそうです。その中で僕の訪問しようとするのは、ZKという名前の天狗さんです。聞くところによれば、この天狗さんは大分年功を経ており、身体には毛が生え、ちょっと動物らしいところがある霊魂だそうで、かなりのお爺さんですが、時には若い風もするとのことです。
 種類も沢山、数も多い天狗さんを、どこにどうして尋ねてよいか見当がつきません。そこで指導役にお尋ねすると、とにかく深山を目がけ、心の中でその天狗の名を念じて行けばよいとの事でしたから、僕はそうしました。服装ですか。それはこの場合でもあり、慣れた洋服を着て行きました。
 やがて聞いた通りの山路にさしかかりましたが、路は随分険阻です。が、現世のような危なっかしい感じはしません。深い谷間もあり、四辺の草木の色は鮮やかで、美しい花なども咲いており、鳥の鳴き声も聞えます。こちらには夜がありませんから、僕は気永な登山気分といった按配で進んで行きました。天狗さんの名を心に念じつつ……。
 と、はるか彼方の山の木立の中に、家が見えました。屋根が反りかえって、支那風に赤く青く彩色してあります。いつもそんな家がある訳ではないが、僕が尋ねて行くというので、急いで造ったものでしょう。どうも人が訪問してくる時に、家がないのは具合が悪いもので、僕にもそうした経験があります。多分指導役のお爺さんが、前以て通知しておいてくれたのでしょう。
 門の柱などはありませんでしたが、門からかなり離れて玄関がありました。そこにはZK 閣と横に書いた額が懸っていました。書体もどうやら支那風です。そこで僕は「ご免下さい」といって案内を請いました。すると若い男が取次に出てきたが、その服装は黒い毛の繻子のような、支那風の服を着ていましたが、僕は近頃は霊眼が利くので、ちょっとそれを働かせますと、正体はやはり天狗でした。
 来意を告げて取次を頼むと、やがてZKさんが出てきましたが、やはり老人の姿でした。背はかなり高く、年の頃は七十位に見えます。白い髯を生やして、ちょっと兜巾に似た面白い帽子をかぶり、支那服に似て少し袖の広い、鼠色の服を着、立派な草履を穿いております。僕は案内されるままに上り、一間に通りましたが、立派なテーブルと椅子が備えてありました。家の飾りつけなど、何れも支那好みです。庭も木石の配置など美事に出来ていました。この天狗さん、初めはどうも支那に住んでいたらしいのです。
 椅子に腰をかけてから、僕は身の上をあらまし話し、今度訪問したのはほかでもなく、こちらの様子を現世に通信したいからだと申しますと、よくそんなに早く通信出来るようになったものだといって、お爺さんは大いに褒めてくれましたよ。
 僕はこの天狗のお爺さんに、いつもここに住んでおられるのかと訊きました。すると、天狗さんは、いやいやなかなかそうはいかない、GDという男によく呼ばれて、そっちの方へ出かけて行かねばならぬと申します。もっともそうでない時は、主に山の中で生活しているが、時にはまたその男を山へ連れてきて修行をさせることもある。この修行中は、その男に何も食べずともよいようにしてやる。その法はその男にも教えてある。またこの山には、薬草が沢山あるので、色々な薬を製造して、前にはその男に渡していたが、今では製造法をその男に教えて作らせることにした。このほか木の実や何かで、葡萄酒に似たような飲み物も作るが、その製法もその男に教えてあると、言っていました。
 それから僕は、どんな事でも出来るかと訊ねますと、どんな事でも出来るといいます。品物を取寄せることなどわけはないといいますから、それでは僕の生前好物だったザボンを、現世から取寄せてくれと頼みました。すると天狗さんは、暫し静坐瞑目しました。僕はこの時とばかり目を凝らして、どうするのかと見ていました。やがて老人の体がブルブルッと震えたなと思った瞬間に、大きなザボンが、もう僕の前にあるんです。どうしてこうなるのか、とうとう僕にはわからずじまいです。
 僕はそのザボンを持ってみましたが、どうも現世の物よりは軽い。そこで僕は現世の物が欲しかったのだと申しますと、現世のものを取寄せることは、ここでは少し具合が悪いというのです。しかたがないから、僕は天狗界産のそのザボンの皮を剥いてみました。やはり水気がなく、実も少しかさかさしています。色は紫がかった、実に綺麗なものでした。
 物品引寄せはこれ位にして、僕は今度は奇蹟を見せて欲しいと頼みました。この天狗さんは、野蛮じみたところがないので、物を頼むのにも甚だ頼み易いのです。すると天狗さんは、外へ出ようといいます。僕は姿でも消すのかと思いながら、跡について庭に出ました。庭には川が流れていてそれに橋が架っています。天狗さんは橋を渡って行きますから、私も渡ろうとして、橋に一歩足をかけた途端に、天狗さんの姿も、橋もなくなりました。何だか狐にでもつままれたような恰好で、しばらく佇んでいると、二、三間川上のところに、同じような橋が架っており、そこにお爺さんもちゃんといます。こんな芸当は、天狗さんには朝飯前の仕事で、わけなく出来るらしいのです。
 それから山の方へ行って、直径二尺もあらうという松の大木をへし折りました。それが大きな音を立て、僕の方へ倒れてくるのです。が、僕はいささか自信がありますから、退こうとはしませんでした。もちろん当たるようなことはなかったのです。木を折る時に、天狗さんの姿がちょっと見えなくなりましたが、木が折れると出てきて大そう自慢らしい顔つきをしていました。
 それから僕は、この家は、僕が来るために造ったもので、ふだんは洞穴の中にでも住んでいるのかと訊きましたら、お爺さんはちょっと変な顔をしていましたよ。が、恐らく僕の言った通りなのでしょう。そこで僕は、現界へ通信する必要があるから、どうかこの家を崩壊させて頂き、その有様を見せて貰いたいがと頼みました。天狗さんは快諾して気合のようなものをかけました。すると、赤く青く濃く彩色してある家が、だんだん淡くなり、上の方から下の方へと、自然に消えて行きました。実に手際は鮮やかなものです。
 そこで僕はまた天狗さんに頼みました。家の崩壊するところは見せて貰いましたが、今度は家を造るところを見せて頂きたいと。これも天狗さんは快諾され、やや暫らくすると、また気合のようなものをかけました。すると何もなかった地面の上に、これは前とは反対に、下の方から上の方へと、赤い青い色がつき始め、それがだんだん濃くなって、前の通りの立派な家が出来上がりました。その出来上った家を僕は触ってみました。僕が自分の家を触ってみた感じは、何だかカサカサしているのですが、この天狗さんの家も、同じような感じがしました。支那風のどっしりした風には見えますが……。
 これで大概の目的を達しましたから、僕は辞去することにして、天狗さんに、今度は僕の家へ来られるよう約束しました。今度は僕の方から天狗さんを煙に巻いてやりましょう。その時には佐伯さんにも来てもらうことにしましょう。

      浅野和三郎『新樹の通信』=第三編=〔本文復刻版〕
        潮文社、2010年、pp. 45-50 (現代文訳 武本昌三)


 現代文訳者私感

 ZKという名前の天狗さんとどのようにして会えるのか。新樹氏は指導役のお爺さんから、「深山を目がけ、心の中でその天狗の名を念じて行けばよい」と教えられます。祈りもそうですが、念ずることの意味をここでも考えさせられます。新樹氏はその天狗さんに会って、霊界通信が「よくそんなに早く出来るようになったものだ」と褒められますが、これは、霊界通信が誰でも簡単に出来るものではないということでしょうか。

 天狗さんから、どんなことでも出来るといわれた新樹氏は、生前好きであったザボンを取り寄せてもらったと言っています。しかしそのザボンは、現世の物よりは軽く、水気がなくて実も少しかさかさしていました。現世のものを取寄せることは、ここでは「少し具合が悪い」とも言われました。新樹氏の要請に応じて、天狗さんは家を造ったり壊したりするのを見せてくれましたが、これもやはり念の力によるものと思われます。
(2014.06.06)


    *浅野和三郎著 『新樹の通信』 の現代文訳はこれで完了しました。